毒親から逃げる為の完全マニュアル

毒親から逃げたい。逃げなきゃ自分がなくなる。でも上手く逃げる方法がわからない。どんなパターンでも上手く逃げられる完全マニュアル。

毒親の毒を解毒 毒親からの抑制2

アルコール依存は本当に苦しかった。買い物依存なんて可愛いと思えるくらいです。

 

 

元々お酒好きではありました。しかし昔は飲む回数はそれ程多くもなく、記憶を無くす程飲む事も吐く事もなかった。二日酔いで苦しんだ事もなかった。(正しくは1回ある。しかしこれには訳が。笑)何より家飲みなんて殆どやらなかった。

 

 

一時期お酒をかなり飲むようになった。しかし元々お酒には強い体質だった事もあり翌日まで残る事は無かった。

 

 

しかし、その後色々あり突然禁酒をさせられた。飲めば殴る蹴るの暴行を受けた。

 

 

そんな禁酒生活が8年以上経った頃、再びお酒を大量に飲むようになった。殴られようが蹴られようが知ったこっちゃない。しかしこの時も翌日まで残る事は無かった。

 

 

それから数ヶ月後私はあの家を飛び出した。その後驚くくらい飲まない日々が続いたが、職場でいじめにあい再び飲むようになった。最初はそれ程多くはなかった。が、いじめが酷くなるに連れて量は増えていった。

 

それから飲む量が増える決定打が起きた。社員からだけでなく、会社からもいじめを受け最終的に職場に行けない状態になり数ヶ月間自宅待機をした後退職した。

 

 

しかし退職後、退職した事を理由に慰謝料を請求され自宅に押しかけらるようになった。夜10時にインターフォンを押される事もあったり、それでも出ないとドアを叩かれ、手紙を入れられたり、ショートメールで恫喝されたり。もはや悪徳借金取り以上の悪徳レベル。これが原因でそれまで以上にお酒の量が増えた。

 

 

毎日ブラックアウトし、顔も歯も洗わず磨かず、お風呂にも入らず新しい職場に行くようになり。お風呂なんて丸2日入らない事も度々あり、生活は荒れました。

 

 

国の機関でもある労働基準監督署にも相談に行った。職員、監督官からも払わなくて良いと言われた。(辞めた事による慰謝料請求は不当請求なので)しかし、前の職場の人が毎日のように自宅に押し掛けるようになり私も疲弊し始めた頃、女性職員に払わないと前に進めないと言われた。

 

 

その後払うと決め、数ヶ月掛け払い再び労働基準監督署に向かうと男性職員から何故支払ったんだ!と注意を受けた。しかし女性の話をするとバツが悪くなったのか?全額請求するにはここではなく裁判所に行ってくれと言われる始末。国はブラック企業を守り、労働者を守らない事はよく理解した。

 

 

さて、前職場の人が毎日自宅に押し掛けてくるものだから、自宅にいるのにストレスが溜まり。24時間フルストレス状態。毎朝起きた後異常な程の不安に襲われ、毎朝吐いていました。

 

 

自分ってなんでこんなについていないんだろう?と悩みましたし、じ○つも考えました。

 

 

途中歯が痛くなり歯医者に行くと虫歯が3本。おまけに舌苔が酷く歯科衛生士さんから強くお叱りを受けました。実はこの時もお酒飲んでから歯医者に行ってるんです。もはや病ですね。

 

 

今思えばこの頃漸く長かった真っ暗なトンネルの出口近くまで来ていた時だったかもしれません。

 

 

この少し前に新しい職場に加えてバイトをはじめたんです。新しい職場もバイトもストレスがある仕事や職場でしたが、2ヶ所の居場所がある事でストレスが分散されたのかもしれません。そして、2ヶ所で働く事によって飲む時間が減ったのがお酒が減った理由のひとつでした。

 

そのうちに飲まなくなりました。一番辛かった時を振り返るとその後飲まない日が来るなんて想像もしていなかったです。

 

 

毒親から逃げれば心から落ち着ける場所がすぐに手に入ると信じていました。しかし、それを手に出来るようになったのは逃げてから5年以上経っていました。毒親の毒って本当に恐ろしいですね。

 

 

 

毒親の毒を解毒 毒親からの抑制1

何かを抑制されると、抑制されているのが無くなった瞬間、その何かの依存症になる確率が高いってご存知ですか?

 

例えば子供の頃親がお菓子を買わない場合、子供が大人になってお菓子依存になる事が多いそう。しかし、大抵は食べ過ぎては太ってしまう理性が働くので一時期で終わってしまうらしいです。

 

そして私も依存症に苦しみました。

 

毒親が全ての理由ではありませんでしたが…新しい職場でいじめにあい、そのストレス発散から買い物依存症とアルコール依存になったのが本当に苦しかった。

 

私は成人後のある一時期以降毒親から買い物する事を抑制されるようになったんです。100円のお菓子すら買えない状態になりました。

 

それが毒親から逃げた後は自分の意思で買い物は出来ます。そしてこれに職場でのいじめによるストレスが重なり買い物依存になりました。

 

買い物依存症といっても高価な物を買う訳ではなく小さな買い物を土日いっきにしてしまう行為でした。5000円程でしたが、1ヶ月換算で4万円から5万円とするので、結果的に高い買い物ですよね。

 

この頃買った物は殆ど残っていません。別に気に入っている物でもないのに、買い物って行為をしてストレス発散。買って家に帰って袋に入ったまま1週間放置するなんて日常茶飯事でした。

 

買い物依存の中で買った物の多くは実は洋服でした。しかしこれは意外な方法で消え去りました。それは…。極限まで服を減らしたんです。すると次に買う時はそれまで以上に考えるようになり、結果的に減りました。気がつけば丸1年服を買っていない事に気づいた時は自分でも驚きました。

 

私は親から服を余り買って貰えませんでした。そもそも子供の物は不要との考えがある両親でしたので、絵本はおろかおもちゃも家にはありませんでした。

 

私は親からアウターを買って貰えた最後はなんと小学5年生。それ以降買ってもらった事はありません。19歳か20歳頃まで姉が中学1年生の頃に買ってもらったダッフルコートが唯一のアウターでした。

 

この抑制のせいだと思いますが、ある一時期まで私は毎年高価なアウターを買っていました。その後買い物自体を抑制され、それから毒親から逃げた後数年間毎年2着ものアウターを買っていました。

 

抑制は恐ろしいと改めて思います。子育ては抑制はするもんじゃないです。

②毒親の毒を解毒 心の負担

私はいじめられた経験があり、リセットして前に進もうとする思いが人より大きかった。そのせいでリセット癖がついていました。

 

毒親から逃げる際も全てをリセットし全てを変えましたがそれは逆に心の負担になってしまいました。まず友人すらいない環境でした。友人のLINEも電話番号もメールアドレスも全て削除していたからです。

 

また、ダンボール6個という少ない物から新生活をスタートさせました。職場も変えました。住むところも以前住んでいた場所からはかなり離れた場所です。あえてバスで伝えるならば9時間以上かかる離れた場所です。

 

そして生活が落ち着きはじめた頃。再び断捨離をしました。ダンボールに入れて持ってきた小物などです。友人からもらった誕生日プレゼント。お気に入りだった靴やバックも。

 

 

しかしこの一連の行為は心にかなりの負担を掛けてしまったようです。私は一時期『自分が何者か?わからなくなる』といった感覚になり今思い出してもその当時辛い日々でした。

 

メンタルクリニックの先生にも言われた事ですが。部屋のカーテンを変えたり、家具の位置を変えた日少しそわそわしませんか?それと同じで心が追いつかない状態になるそうです。

 

カーテンや家具の位置を変えても通常は1週間もすれば慣れてしまいます。が、人間関係、職場、住む場所だけでなく物すらも変えた事により心がパニックを起こしてしまったようです。

 

精神的にいっぱいいっぱいになって心に余裕が無い時に全てを変えてしまったんです。

 

なので全てをリセットする方法は絶対やってはいけない行為です。

 

①毒親の毒を解毒 ネット情報のウソホント

2018年春を最後にこのblogの更新をやめる事にしました。理由は至って単純なもので、このblogは毒親から逃げる専門マニュアルとして立ち上げたからです。「逃げ方」について必要な事は全部伝えたつもりでいました。

 

しかし、逃げた後の事も残した方がいいのか?と考えた結果、毒親の毒の事、毒の抜け方とか、とか、とかを残そうと思い、このブログを再開させる事にしました。

 

これから数回に渡って書こうと思います。何回更新するかは決めていません。

 

さて、逃げたら幸せになれる。絶対幸せになる事で毒親へ復讐してやると思っていましたが、逃げたからといって逃げたその日からパラダイスのような楽しい毎日が待っていた訳ではありませんでした。

 

逆を言えば毒親の呪いなのか?不幸の連続でした。少し幸せかな?と思えたらまた崖から転げ落ちたような不幸の連続。逃げてから幸せって思えた日の方が少ないくらいでした。思えば毒親の毒が想像以上に毒だったんだと思います。

 

逃げたきっかけ…は別ブログに書いているのでここでは話しませんが、ある日毒親の毒を強く感じ、その時初めて「逃げる」という選択肢を選び、それから数ヶ月掛けて逃げました。それまでは毒親に対して「許す」を選択していたし、それ以外が思いつかなかった。

 

子供はどんな親であっても許すんです。いくつになっても親から無償の愛が欲しい。特に毒親育ちにはそれが普通親育ちより思いが強い。だから、親を許し愛してって親にお願いするんです。しかし、毒親ほどその許しに甘えている親って多いですね。許しを許しと感じていないのも強いかな?許しは言うことをきいてくれた親思いのいい子と思っている。

 

さて逃げると決めた夜以降、逃げ方を毎日PCでググッていましたが…結局、ググッた時の答えと、私が実際経験した事は違っていた事がいくつかありました。それをまず紹介していきます。

 

A.ネットの記事は9割嘘、1割本当

何から何までネットで調べました。しかし後になって思い返すとネットより、行動した方が正確だったな。と思う事の方が多かったです。

 

①住民票の閲覧制限申請は通らないは嘘

所謂「住民票の閲覧制限」というものの正式名称は「支援措置」。実際は申請は通ります。

 

②マンションの騒音トラブル。何かあれば警察へは嘘

警察は民事不介入です。騒音に関する法律はありますが、それは企業用。暴力事件、殺人事件が起きない限りは動きません。せいぜいインターフォンを押して在宅確認して抑止を狙う程度。

 

毒親へ捜索願不受理届けを出す

不受理届けを出す事は可能です(未成年は不可)しかし、毒親が捜索願を出せば受理されます。

 

④名の漢字の読みを変える

姓を変えるのはほぼ不可能。名は比較的簡単(裁判所へ届出が必要になります)漢字の読みは簡単は嘘

漢字の読み方は変えられません。市役所で変えられると聞き、出向きましたが変えられませんでした。市役所で「市役所内での事務処理で使うものであって意味がない」との事。つまり変えたところとて「通称名」の感覚でしょうか?

 

本気で大丈夫と思っていた事が尽くだめでした。結局これが理由でマニュアルを作成した次第です。

 

 

【追記】逃げた先にあるもの

20年以上苦しめられた不眠症から解放されました。

 

22歳から24歳の頃に不眠症を発症。最初は中途覚醒型でしたが、病院に行き薬を処方された後は完全不眠。薬が無いと入眠も出来ないし、睡眠を持続させる事も出来なくなりました。

 

薬を飲まなければ平気で3日間は起きていられました。4日目は身の危険を感じ泣きながら薬を服用しました。(本当は薬なんて飲みたくなかったため)当時は不眠症患者の中でも最強と言われた薬を飲んでました。それでもストレス過多時期は睡眠時間3時間も無い時もあったのでかなりの重症だったんだなと思います。

 

 

 

 

また、これは不思議ですが嗜好が変わりました。嫌いだった食べ物が食べられるようになったり、その逆で好きだった食べ物が嫌いになったり。例でいえば生姜やコーヒーが好きになったり。

 

聴く曲の好みも変わりました。今までラップだったり、ガンガンのロックって嫌いだったのに。今では好きでよく聴きます。またジャズが好きになり夜寝る前に聴いています。

 

部屋を間接照明にして、ベッドの上でのんびりジャズを聴いていると自然と眠気が…薬を飲まないと2〜3日平気で起きていられたのに。自然に寝たよ!って朝起きてから驚きました。

 

そして何より考え方も変わりました。それまでは不幸になる事ばかり考えていたのが、当たり前ですが幸せになる方法を次第に考えるようになりました。

 

例えば…急いでいる時に赤信号。普通の方なら「もう少し余裕もって家出れば良かったな」とか「タイミング悪いー」と思うはずなんですが…

 

何せ不幸になる事しか考えていないから…「私が悪かった」だの「これは悪くなる前兆」だの「これは悪くなるからやってはいけないと神からの御告げ」だの。今思えばバカだなって事ばかり考えていました。たかだか赤信号くらいのことで。

 

毒親は毒のある事しか話さないため厄病神、貧乏神がきっと取り憑いているんでしょうね。

で、一緒にいるから自分にまで厄病神や貧乏神がくっついてくる。しかし離れてプラス思考になると当たり前に厄介なものは去っていくものです。

 

もちろん逃げて直ぐに全てがそうなった訳ではありません。少しずつですが変わっています。

 

 

毒親に連絡するか?しないか。

手続き関係はこれがほぼ全てです。

 

この先探偵を雇われたり、また職場を知られているといった、いつでも押しかけられる場合を除いて、これからは本来あるはずの平和な日常を送ることが出来ます。

 

しかし、これから先で非常に大きな問題が出てきます。それは逃げた時にパートナーは居なかったが、その後パートナーになる方が現れ、結婚、出産という人生の転換期に再び毒親問題が再燃するといった事案です。

 

自分が親から逃げているという現実に対しての負い目。またそれに対しての苦しみ。又幸せな時間が出来たからこそ、毒親の事が心配になり、そういった気持ちから、毒親へ連絡してしまう事。

 

しかし連絡後、後悔する方の方が圧倒的に多いです。毒親は死ぬまで毒親です。毒親が変わる時は一生やってきません。

 

この時連絡しなくても自分が結婚する時に、結婚相手くらい会わせた方がよいかな?子供の顔くらい見せてあげたいと連絡する。

 

また不思議な話ではあるのですが、折角逃げられたのにも関わらず、里帰り出産をするため、連絡をする方もいるそう。

 

自分が思わなくても結婚相手から自分の親に会わせて欲しいと言われた。孫の顔くらい見せてあげようよと言われた。

 

本来子供であれば素直に湧き上がってくる感情ですが、会って良かったと言っている方を一度も聞いた事がないので、会わない、会わせない事が懸命でしょう。里帰り出産をした方に至っては、退院後2日で疲れ、自宅に戻ったとも聞きます。

 

また、毒親介護をしたいと思った方、毒親が亡くなってお葬式に出て良かったと言っている方も聞いた事がありません。逆に死んで勝手に連絡されて怒りが湧いてきたと聞きます。

 

私は結婚相手にも会わせません。子供にも会わせません。介護なんて持っての他。人それぞれ気持ちの個人差はあると思いますが。私の場合は金輪際関わり合いは持ちたくありません。

 

捜索願不受理届(訂正)

捜索願不受理届について大幅に訂正します。

 

捜索願不受理届、毒親には通用しません。

 

ストーカー等には不受理届は出せ、受理されます。しかし、毒親の場合、不受理届を出せば受理してもらう事は出来ます。しかし、逆に毒親から捜索願を出されれば警察はそれを受理しなくてはいけません。つまり不受理届を出すのは無駄。という事です。

 

受理されているからと言って特別な事はありません。(ただし成人に限る)未成年の場合は受理されると捜索されます。

 

成人されている方は捜索される事はまずありません。年間失踪者は10万といるんです。警察も暇ではないので捜索はしません。ただ「自殺する可能性がある」など毒親が嘘をつき緊急を要すると警察が判断した場合は捜索するかもしれません。

 

が、しかし「支援措置」を受けてる人をわざわざ探す事はしないでしょう。“支援措置を受けているという事は自分の意思で逃げている証拠”になりますから。

 

捜索願を出されて面倒な事と言えば職務質問をされた場合、必ず捜索願を出されている事を説明されます。また、免許の住所変更、その他警察へ行った際も同じように説明を受けます。

 

しかし、職務質問を受ける事も、警察に用事が出ることも普通に生活をしていればありませんので、問題はありません。